りきおのオピニオンスタジアム

 
2015年4月20日
第51回「粛々」が「上から目線」になるのはなぜか

~大学はものごとを自立的に考える場所~

 9日の参議院予算委員会での松沢成文議員(次世代の党)と安倍総理との質疑をきっかけにして、下村文部科学大臣が国立大学に入学式などでの国旗掲揚・国歌斉唱を要請する動きが浮上してきました。質疑に際してどういう示し合せがあったのかは知りませんが、私はこの内容に対し、強い疑念と違和感を持ちました。
 誤解を恐れずに言えば、私自身は国旗・国歌は大変大事なものだと思っています。25年前に経験したバンコクでの在外公館勤務時代、エアコンもまだなかった灼熱の中での日本人小学校の入学式で、長女を見守る中、仰いだ日の丸と会場に響く雑音混じりの録音テープの君が代は一生忘れることはできません。
 国旗・国歌に対する思いとは、一人ひとりがその気になって受けとめることなしには、本物にはならないと思うのです。形からしばるようなことはそれに逆行することに他なりません。
 まして大学という場所ほど、一人ひとりが物事を自立的に考えるべき場所はないと思います。そこに対して一律的な指導を国が行うとは・・・。
 そもそもそこまでしないと、日本の国旗・国歌とは人々に受け入れられない存在なのでしょうか?政府はそういう風にしか考えていないのでしょうか?

~本来、右だ左だの問題ではない~

 日本人の弱いところは、一人ひとりの考えがなんとなく全体に流されてしまうということであり、加えて、お上の言うことにはとりあえず適当に従い、あまり逆らわずにおくという心根ではないかと私は思います。
 かつては、そうしておけば、なんとなく守ってもらえるし、高望みせずとも生きていくことはできる、そういうことだったのかもしれません。しかしそれは高度成長期の幻であって、足もとでの格差の拡大や貧困の連鎖という現実を見据えるならば、ワークルールを含めた雇用社会の立て直しが不可欠です。また一方ではグローバル化が進展する中で、いかにして真の企業家が力を発揮していけるのか等々。日本の経済・社会を立て直していくためには、一人ひとりの主体的・自立的な思考が不可欠です。そういう思考を育てる、あるいはそういう思考から学問を展開していく、それこそが大学ではないでしょうか。

 今回のこの問題について、各紙の社説などは論調が分かれているようです。もちろんいろんな見方があっていいのですが、しかし、どうも普段の論調の延長線上で分類されているような感じがしてなりません。
 この問題が、右だ左だの問題で色分けされ、取り上げられることで、問題の本質が一層、みえなくなってしまうように思えてなりません。

~「粛々」が「上から目線」になるのはなぜか~

 そしてここ最近、報道各社に向かって突きつけられている問題、具体的な報道ぶりに対する政府・与党のプレッシャー等、政権・与党の立居振舞、大変に問題が大きいと思います。これらの問題に共通していえるのは、「上から目線」ということです。
 上から目線と言えば、例の「粛々」という言葉が連想されます。しかしすでに知られている通り、「粛々」という言葉自体には「上から目線」という意味は全くありません。
 辞書でひいてみると「ひっそりと静まっているさま」とあります。ですから政府の立場からすれば、「もう既に決まったことなのだから、がたがた言わずに、ひっそりと静かに進めて行こう」ということなのでしょう。
 そのことが沖縄の立場からすれば「上から目線」なのです。政府も身に覚えがあるようです。この言葉を使わないようにする、ということなのですから。
 沖縄の人々だけがそう感じたという問題ではありません。それはそもそも県外の、大多数の国民一人ひとりにも突きつけられた課題なのではないでしょうか。そもそも在日米軍基地施設の74%が集中するという過重極まりない沖縄の米軍基地負担に対して、私たちは解決策を持っているのでしょうか?日米地位協定の問題については今後どのようにしていけるということなのでしょうか?
 明確な答えがなくて、ただ「粛々と」とだけ言われるならば、それは「上から目線」に他ならないということではないでしょうか。

(神津)

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