紙つぶて

 
2018年12月3日
無形の財産

 結婚してすぐ出征した父が復員後まもなく、社長が父、母が金庫番の小さな商売を始めました。金庫番には資金繰りの苦労がつきものですが、わが家の茶の間兼事務所で、従業員の「奥さん。給料の前借りをお願いできないか」に応える母の姿を子ども心に覚えています。そして、現場から戻る従業員を社長が酒とピーナツで出迎えるのも茶の間兼事務所。こうした経営者としての振る舞いは家族的経営の典型といえましょう。ただ、日本が成長を駆け上がる中、小さな職場の横顔には立場を超え、固く結び合う空気がありました。
 一方、生き生きとした成熟社会を実現できるか岐路に立つ今の日本。ただし、経済的不平等を示すジニ係数は悪化し、これと相関関係にあるとされる他者への信頼度の低下も心配の種です。
 ならば、新たな時代づくりには、地方と東京、正規雇用と非正規雇用、男性と女性、障がいのある人と無い人など、社会に広がるあらゆる格差を食い止め、反転させると同時に、すべての働く人が結び合う信頼の糸、その無形の財産の生かし方、生かされ方を再点検する必要があります。
 恒例の今年の漢字が発表される時期も間近。今年はどんな一字でしょうか。そして、社会の片隅から、働く人とともに日本の成長を見届けた亡き社長と金庫番なら、今の社会を見渡し、何と記すか、気になるところです。

2018年12月3日の東京新聞・中日新聞夕刊に掲載