紙つぶて

 
2018年9月10日
泣くかもしれません

 「すみません。泣くかもしれません」。その人は私の近くで申し訳なさそうに絞り出しました。日帰り出張の羽田行き最終便。仕事を終えた解放感と搭乗前のビールがいい具合にブレンドされ、シートに深々と私の身を沈めた時でした。
 声の主は三十代とおぼしき男性。少し体を起こし目をやれば膝の上に小さな男の子。私が窓側。やがて埋まることになる席を挟み、その親子は通路側。やや唐突なパパの一言でしたが、同時に、離陸後、ビールに誘われ間違いなく眠りに落ちる自分の姿が頭をよぎりました。ただそれを押し隠すようにとっさに「いえ。全く問題ありません」と平然と、むしろ、堂々と答えた私でした。
 私の言葉が若きパパの気持ちを幾分、楽にさせ、心のうちも読まれなかったとしたら作戦成功。でも、そもそも「私、疲れてますので」的な空気を知らぬ間に演出した私とそれを過敏に察したパパとの間で生まれた「すみません」「問題ありません」だったとしたら少々、息苦しさを感じます。
 小さな心遣いは、職場や社会の潤滑油。若きパパの「泣くかもしれません」はその模範かもしれません。ただし、一方的にそうした行いを求めるのは禁物です。パパ・ママ、子供らが息をひそめるように暮らす縮こまった社会を健康的とは言いにくいからです。そういえば、私も小さい頃は大きな声でよく泣いたそうです。

2018年9月10日の東京新聞・中日新聞夕刊に掲載