2020TOKYO 人をつなぐ 夢をつなぐ パラリンピックものがたり~大日方邦子 日本パラリンピアンズ協会副会長~

2018年3月7日

 

連合は「誰もが参加可能な共生社会の実現」に向けて2020東京パラリンピック開催を全力で応援中。パラスポーツへの理解と共感を広げる「ものがたり」を連載でお届けする。

 大日方邦子 日本パラリンピアンズ協会副会長/平昌パラリンピック日本代表選手団団長

大日方邦子( おびなた・くにこ)日本パラリンピアンズ協会副会長

アスリートの努力と技術者の創意工夫の融合から生まれるパラスポーツの面白さを実感してほしい

 

3月9日開幕の平昌冬季パラリンピック。日本代表選手団の団長を務めるのは、日本パラリンピアンズ協会の大日方邦子副会長だ。5大会連続で冬季パラリンピック(アルペンスキー)に出場し、長野大会での金メダルをはじめ日本人最多となる10個のメダルを獲得。その経験を生かし、平昌大会では、団長として選手を全面的にサポートしつつ、パラリンピックの魅力を広く発信していきたいと語る。

 

平昌パラリンピック冬季競技大会 日本代表選手団 壮行会(撮影/堀切 功)

 

バンクーバー大会(撮影/堀切 功)

 

鉄棒やジャングルジムも

─3歳で交通事故に遭われたと…。

はい。でも事故の記憶はまったくないんです。事故の瞬間、右足は膝上から失われ、左足も粉々の状態で、病院に運ばれた時、お医者さんは一目みて「これは助からない」と思ったそうですが、いくつもの奇跡が重なって命をとりとめました。専門病院に転院してからは、15回もの手術を受け、2年以上を過ごしました。家族に会えるのは週に1度の面会日だけで寂しい思いもしましたが、院内では車椅子レースを仕掛けたりして、やんちゃぶりを発揮しました。

 

6歳になった時、待望の義足ができたんです。普通は訓練しないと一歩を踏み出せないんですが、私は装着するとすぐに歩けた。うれしくてブランコに飛んでいきました。義足ができたら、絶対自分でブランコを漕ごうと思っていたんです。気持ち良かったですね。

通っていた幼稚園では、鉄棒にもジャングルジムにもチャレンジし、運動会ではすべての種目に参加しました。両親も幼稚園の先生も、「危ないからやめなさい」とは一言も言わず、サポートしてくれた。アルバムには、2歳違いの双子の弟を従えて木登りをしている写真があるんです。両親はハラハラしていたと思うんですが、いざとなったら助けられるところで見守ってくれた。私の運動能力やバランス感覚、そしてどんなことにも挑戦してみようという前向きな姿勢は、きっとこの頃に養われたのだと思います。

 

 

どうすればできるか「一緒に考えよう」

─どんな学校生活でしたか?

教育委員会からは当初、特別支援学校への入学を勧められましたが、両親は、地元の小学校への入学を希望して何度も話し合ったそうです。そして、「他の子どもの学校生活に迷惑をかけない」「学校行事に参加を希望する場合は、親が同行し、すべての責任を負う」という条件付きで入学が許可されました。体育や課外授業は「無理に参加しなくていい」と言われましたが、私は活発で動くのが大好き。両親は、それがわかっていたので、「本当にやりたいと思うなら、どうすればできるのかを一緒に考えよう」と言ってくれました。

実は、障がいがあっても、小さな工夫や配慮でできることはたくさんあるんです。例えば運動会では、校庭に座ったり・立ったりという動作が繰り返される。これは義足の私には難しいことですが、教室から椅子を持ってきて校庭に置かせてもらえば、座ったり・立ったりがスムーズにできる。

水泳の授業では、学校は、泳げるなら参加していいと言うので、スイミングスクールに通って泳げるようになってから参加しました。当時は、同調圧力が強く、私自身も「同じでなければ」という気持ちを強く持たざるをえなかったように思います。同調圧力は「異質」なものを排除しようとする窮屈な社会につながってしまう。中学では、そのことを思い知らされました。

 

必ず道は拓ける

─「異質」なものとは?

中学には制服があって女子はスカートですが、私は安全上の理由でスラックスを履いていた。まずそこが同級生たちと違った。また、学校までの道はアップダウンが激しく、私には歩いて通える距離ではなかったので車で送ってもらっていたのですが、それも「特別扱い」だと言われた。掃除の時間にバケツの水をかけられる事件が起きて、それからモノを隠されたり、仲間外れにされたり、一通りのあらゆるいじめを受けました。

なぜいじめられるのか、私なりに考えたんですが、原因は「障がいがあって人と違うこと」。「障がい者は弱者で守るべき存在」なのに、私は授業中にハキハキ発言するし、体育にも参加するし、成績もそこそこいい。それが反感を買ったんでしょう。でも、だからといって自分を変えるなんてできない。イヤなことは、家に帰って全部母に吐き出しました。話すことで、自分自身でも気持ちを整理できるし、また明日頑張ろうと思える。もちろん「学校なんて行かなくてもいいんじゃないか」と思ったこともあります。両親には「無理に行かなくてもいい。でも、『勉強』は自分のため。学校に行かなくても自分ひとりで勉強しなければならないから、そこは工夫しよう」と言われました。この言葉で気が楽になって、結果的に通い続けることができました。

高校はまったく違う世界でした。入学準備で先生と話し合う機会があったので、「中学でいじめにあったので、高校で友人関係がうまくいかなかったら学校をやめます」と言ったんです。先生は「やめるのはいつでもできるから、1回やってみれば」と話してくれました。その先生とは今でもお付き合いがあるし、高校では生涯の仲間ができて、本当に楽しかった。

 

いじめられた経験は楽しい記憶ではありませんが、自分自身と向き合う力は培われました。人生でうまくいかないことがあっても、必ず変わり目が来る、自分の気持ちを誰かに伝えることができていれば、必ず道は拓けると思えるようになりました。もし今、つらい思いをしている人がいたら、自分ひとりで抱え込まず、まず、そのことを誰かに相談してほしいと思いますね。

 

これなら私にもできる!

─チェアスキーとの出会いは?

17歳の時です。当時は、スキーブームで、私の高校でも、希望者を募ってスキー教室が開催されていました。仲の良い友だちが参加するので、私も一緒に参加したいと相談したのですが、さすがに難しいと言われてあきらめかけていました。そんな時、義足修理のために出かけたリハビリテーションセンターでチェアスキーに出会ったんです。一枚のスキー板の上にバネのついたシートが付いている。「これだ!これなら私にもできる」と直感し、その場で主催団体の紹介を受け、初心者講習会に行くことにしました。当時、私はパラリンピックの存在も知らなかったし、競

 

技スキーをやることになるとは夢にも思いませんでした。でも、部屋の片隅に置かれたチェアスキーにたまらなく魅せられたんです。実際にスキーを体験してみると、楽しくて、楽しくて…。真っ白な銀世界に感動し、風を切るスピード感に夢中になりました。スキーは「足裏」に相当するところで、微妙な前後左右のバランスを感じながら滑るんですが、一般には12歳ぐらいまでにその感覚を身に付けないと競技は難しい。でも、私は木登りやジャングルジムでバランス感覚が鍛えられていたんでしょうね。そのハンディは練習量でカバーすることができました。本当に不思議で運命的なチェアスキーとの出会いでした。

─競技生活のスタートは?

競技スキーを始めたのは大学に入ってからです。障がい者が優先的に利用できるスポーツ施設ができたので、水泳やテニスをやっていたら、チェアスキー協会の強化部長から「そんなに身体を動かすのが好きなら、スキーを本格的にやってみないか」と誘いを受けたんです。

 

少しは滑れると思って合宿に参加したんですが、時速100キロで滑走する競技スキーの世界はそんなに甘くなかった。強化合宿が行われていたゲレンデに出ると、目の前にあるのはまっすぐにそびえる「壁」でした。何の心構えもないまま飛び込んだ世界でしたが、楽しかったので、やめようとは思わなかった。いくつもの壁にぶつかりましたが、それを乗り越えることができた時の達成感は格別だったからです。

トリノ大会(撮影/堀切 功)

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驚きと発見の連続

─パラスポーツの魅力とは?

「あ、こんなことができるんだ」という驚きと発見の連続ですね。チェアスキーは「立って滑れなくても座れば滑れる」ことを教えてくれた。やり方を考えれば、きっと答えは見つかる、可能性が広がっていく。

パラスポーツには、そのための道具も欠かせないんですが、そこにも小さな工夫がたくさん埋め込まれています。例えば競技用の義足は日々改良が重ねられていますが、バネが強ければ速く走れるというものではなくて、上方向に跳ねる力を前に進むベクトルに変えなければいけない。そのためには、筋力やテクニックが必要で、選手は日々練習を重ねている。技術者の創意工夫と、それを使いこなし最大限の能力を発揮しようという競技者の努力が融合して、スポーツとしての面白さが生まれている。そういうところに目を向けると、もっと楽しめると思います。

─まもなく平昌パラリンピックですが、見どころは?

私は、団長としてすべての競技を見守りますが、ぜひ見てほしいのは、視覚障がい者のアルペンスキーです。ガイドスキーヤーと選手が、無線機でやりとりしながら、連携して滑走する。ガイドにも高度な技術が要求されるし、スピード系種目では時速100キロで滑走するので、信頼関係がないと成立しない。残念ながら、日本からは出場していないのですが、海外の選手たちの滑りは本当に素晴らしい。オリンピック・パラリンピックというと、どうしても日本選手だけに注目が集まりがちですが、ぜひ外国のアスリートも含めて全体を観てほしい。今まで知らなかった素晴らしい世界の扉を開くことができるはずです。

 

一過性のものにしてはいけない

─2020東京パラリンピックに向けての課題は?

東京大会開催を目前にして、かつてない社会的関心の高さを感じています。企業の支援や地域での応援の機運も広がっている。課題は、それを一過性のものにしてはいけないということ。実は、1998年の長野パラリンピックの後、私はそのことを経験したんです。開催に向けては、日本代表チームが結成され、強化費に使える助成金が付いた。私も、当時としては恵まれた環境で練習に打ち込むことができ、日本人初の金メダルを獲得できた。ところが、長野大会が終わったとたん、代表チームは解散し、活動資金も活動場所もなくなった。コーチたちも、長野までは頑張ろうと無理をしてくれていたことがわかった。私は、選手としてこれからが正念場だと思っていたので、本当に途方にくれました。

だから、2018平昌大会の後、そして2020東京大会の後には、そんなことがけっして起きないようにしたい。自国で開催するから、自国の選手を応援してそれで終わりというだけではなく、東京大会をきっかけに、パラスポーツの魅力、パラリンピックの意義を理解し、それによって社会を変えていくという大きな流れをつくっていきたい。そして、東京大会のレガシーを受け継いで持続可能な形でパラスポーツを社会に根付かせていきたい。そのためには、障がいのある子どもや大人が、もっと地域でスポーツを楽しめる環境をつくっていく必要があると思っています。

 

─連合に期待することは?

今、職場でも、ダイバーシティ&インクルージョンの大切さが認識されるようになっています。自分と異なる人たちがいて、自分にはないものを持っている人たちがいて、その人たちが一緒に力を合わせて仕事をすることで結果的にはより大きな力が生み出される。

これを実践するには、職場の人たちに障がいがある人を仲間として受け入れる気持ちがあるかどうかがいちばん重要です。それがあれば、障がいのある人も自らの能力が発揮できて、仕事もうまくいく。

私自身、仕事をしながら競技生活を続けてきました。最近は、アスリートが競技に専念できる環境も整ってきましたが、個人的には、100%競技に集中する期間は、あまり長すぎないほうがいいと思っています。だから、これからは、競技を続けながら仕事にも打ち込める柔軟な働き方ができる環境づくりにも力を入れたい。そういう両面で、ぜひ連合の皆さんの力をお借りできればと思っています。

●Profile

大日方邦子( おびなた・くにこ)日本パラリンピアンズ協会副会長

1972年東京生まれ。3歳の時に交通事故で右足を切断し、左足にも障がいが残る。高校2年の時にチェアスキーと出会い、スキーヤーとして歩み始める。中央大学在学中の1994年、リレハンメル大会に出場し5位入賞。1998年の長野大会では冬季パラリンピック日本人初の金メダルを獲得。日本代表選手団主将を務めた2006年トリノ大会では、2つ目の金メダルを獲得。2010年のバンクーバー大会では5大会連続出場を果たし、2つの銅メダルを獲得。同年9月、日本代表チームからの引退を表明し、現在は、後進の育成、スポーツを取り巻く社会環境の改善、さらに「誰もが安心して生きられる社会」をめざしてユニバーサルデザインの普及や途上国の障がい者支援などに取り組む。日本パラリンピック委員会(JPC)運営委員、日本障害者スキー連盟理事、スポーツ審議会委員、障害者政策委員会委員などを務める。(株)電通パブリックリレーションズ勤務。

 

パラスポーツクイズ

Q、チェアスキーに座った状態で、どうやってリフトに乗るかご存知ですか?

A、実は、ロックを解除すると椅子の部分が上がるようになっているのです。私がチェアスキーを始めた頃は、その機能がなく大変苦労しました。技術革新はめざましいです。こんなことにも注目してください。

チェアスキー

 

パラスポーツ 競技日程

《3月》
9日(金)〜18日(日)平昌パラリンピック

16日(金)〜18日(日) 総合大会
第43回全国ろうあ者冬季体育大会 雫石スキー場(岩手県)

17日(土)〜18日(日) 卓球
第38回ジャパンオープンパラ選手権 箕面市立総合運動場(大阪府)

17日(土)〜18日(日) サッカー
第15回全日本知的障害者サッカー
選手権大会’18「チャンピオンシップ」 未定(岐阜県)

18日(日)〜22日(木) ボッチャ
2018 BISFed Asia & Oceania Regional Open ,Mie 三重県営サンアリーナ(三重県)

21日(水)〜25日(日) 5人制サッカー
IBSA ブラインドサッカー ワールドグランプリ 2018 天王洲公園(東京都)

23日(金)〜25日(日) バスケットボール
全国デフバスケットボール大会 クロスパル古賀(福岡県)

27日(火)〜31日(土) カヌー
2018パラカヌー海外派遣選手最終選考会 府中湖カヌー競技場(香川県)

※こちらの記事は日本労働組合総連合会が企画・編集する「月刊連合2018年3月号」に掲載された記事をWeb用に編集したものです。「月刊連合」についてはこちらをご覧ください。

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