2008年春に『派遣からみる女性の働き方』という冊子を発行した。編著は、ヒューマンサービスセンターに関わりがあって派遣で働いている、または働いたことのある女性たち6人と私である。自分たちの思いを社会に発信したいと、最終的にはA5判20頁2色刷りの小さな冊子を作った。 *1私たちは大満足であり、また手にとってくださった方からの反響に手応えを感じている。 *2
そもそもは、派遣で働く女性たちが集まってときどき経験交流をしていたことが出発点だった。またヒューマンサービスセンターでは、女性だけでゆっくりおしゃべりしたり、くつろぐ機会を時々もうけているのだが、そこに来ている人たちにも派遣で働いている人がいて、いろいろな体験談が出るうちに、怒ったり、笑ったりしながら、それらの経験に共通する矛盾や問題点、差別に気づいていった。そのように、ゆる〜く、2ヶ月に1回くらい集まりを続けているうちに、その一人が長年働いていた派遣先から「次の更新はしない」ということを告げられ、その理由に納得がいかないことを、みんなに相談をしているうちに、内容は一気に「女性が『派遣』で働くこと」に焦点化していった。
そのころに、派遣会社がスポンサーとなって『派遣の品格』というドラマも放映され、その超人的な派遣社員ぶりを「アリエネー」と茶化しつつ、正社員の就職口にあぶれた若い女性たちがどんどん派遣市場に流れていくことに、私たちは強い危機感をおぼえていた。
「働き方が選べる」という、そそられるメッセージとともに、新聞やテレビでも派遣会社の広告を目にしない日はないくらいだ。
ヒューマンサービスセンターは、人間関係や生き方の悩み、セクシュアルハラスメントやDVの相談を無料で受けているNPOである。 *3相談者の7割は女性で、もともと仕事をしている女性からの相談が多かった。そして派遣で働いている、という人が増えたのは2000年ころからだったと記憶する。一般職として就職したが、いじめやセクハラ、過酷なストレス、リストラで退職し、データ入力や、ファイリング、コールセンター等に派遣されていた。私はよく「花のOLは絶滅危惧種である」とブラックユーモアで表現することがあるが、「花のOL」であったはずの女性たちが、派遣社員になっていったのだ。
そのころの派遣社員は、ボーナスはないけど年収300万円近くを得ていて、首都圏で自立したひとり暮らしができていた。ところが、2004年ころから、正職員を退職させ替わりに派遣社員を入れる職場が増加し、正社員の働き口がない女性たちは、ますます派遣社員となっていき、その結果派遣の時給が下がり始めた。また派遣社員を正しく使えない派遣先も多く、ストレスは増え、派遣期間は短くなり、派遣社員として生活する女性たちの収入は減り、雇用も不安定になっていった。それは一人暮らしの生活が危うくなることを意味していた。女性の貧困化である。
最近は、日雇い派遣、ワーキングプア、ネットカフェ難民など、労働者の危機の問題にようやく耳目が集まるようになってきた。しかし、それらは男女雇用機会均等法の網にかからない、女性労働者の雇用における不利や困難を放っておいたツケが回ってきたのだと思っている。「悪貨は良貨を駆遂する」というのは、こういう状況のたとえではなかったか。多くの女性が正社員として採用してもらえず*4 、派遣やパートなどの非正規雇用しか働き口がない状態において、女性労働者を雇用の調節弁として使えることがわかった経営者が、それを男性にも拡大したのである。
*1 東京都港区の男女平等アシストプランの助成金を受けて実現した。
*2 2008年6月4日の朝日新聞にも紹介された。
*3 2003年から港区男女平等参画推進プランの施策として港区コミュニティカフェ事業の委託を受けている。
*4 採用されても賃金差別や昇進差別にあうが。
派遣は、何年働いても職務経歴書に堂々と書けるキャリアにはならず、給料もあがらない。時給の高い派遣先は、20代の女性にまわされ、社会人20年、30年の40代、50代の経験厚い女性に回ってくるのは、パートとそう時給が変わらない派遣先である。働き方を選べるどころか、生活のためにはどんな職場であってもまずは、いってみるしかない。職場の同僚として尊重されないだけならまだまし、切り捨てやすい労働力として、セクハラやパワハラの餌食にもされる、そんな悲鳴が派遣女性たちから聞こえてきそうだ。
しかし派遣社員というのは連帯しにくいし、職場でのトラブルを解決するために闘う手間ひまがあるなら、次の仕事を探す。でなければ生活に困るのだ。
この冊子は派遣で働く女性のありようについてわたしたちからの発信であり、少し大げさに言えば、社会問題解決への道筋と考えている。わたしたちは、きれいなイメージCMで語られている派遣社員の女性たちが遭遇する痛いトラブルを、漫画やわかりやすい体験談で表現した。また派遣で働くときの基本(社会保険や有休等)もQ&Aでコンパクトにまとめた。そして派遣社員として働くことしかない時期があるかもしれないけれど、自分の人生もこの社会もどうにかしようよ、のメッセージをこめたつもりである。
人が生きていく上でなくてはならない労働、私たちは、誰かを踏みつけることも誰かに踏みつけられることもなく、普通に生活するために、自分の健康を維持できる範囲で、坦々と働くことを願っているだけなのである。
<提案・連合にお願いしたいこと>
●労働権についての学習会を出前してください。またそのファシリテーターを養成してください。
まず市民の一人一人が労働権について学習する機会を持ち、身につけることが必要であると思う。本当は義務教育のなかで、なされるべきことだと思うが、そうなっていない以上、学校でも職場でも、また他の小さなグループでも、連合の経費持ちで、出前してはどうか。そしていわゆる「オルグ」ではなく、そのセミナーのファシリテーターとなる人々を養成して派遣するのはどうだろうか。
いまどきの若い人は、高校時代からアルバイトを始めている。だから労働者にはどのような権利があるかを知らせよう。「明日から来なくていい!」や「コップを割ったから弁償しろ!」「けがしたらクビだ」等々の暴言は通用しないのだ、という知識と誇りを身につけて働いてほしい。
深澤 純子(ふかざわ じゅんこ)
1951年横浜生まれ。1974年、多摩美術大学卒。89年まで同大グラフィックデザイン科助手を経て1998年まで(財)安田生命社会事業団ヒューマンサービスセンターで専門職員として、相談活動とアートのワークショプに携わる。財団から、ヒューマンサービスセンターの部門閉鎖と解雇をいわれ、同僚と労働組合を結成して闘う。交渉ののち退職と和解金で、NPOヒューマンサービスセンターを設立し、99年、東京都より認証される。2003年12月より港区コミュニティカフェを港区委託事業として開設、DV、セクシュアルハラスメント、人間関係や生き方の相談を受ける。
現在、特定非営利活動法人ヒューマンサービスセンター事務局長。港区男女平等推進会議座長(01〜02年)、台東区男女平等推進プラザ運営委員会座長(98年より現在)等を勤める。神奈川大学非常勤講師、中央大学ハラスメント・カウンセラー。
日本女性学会会員。女性とアート、メディア、ジェンダーをテーマに地道に活動を展開している。主な著作や論文として、「視線の政治:見られる・消費される女性のイメージ」(国際キリスト教大学ジェンダー&セクシュアリティ研究所紀要、2006年3月)『ジェンダーセンシティブからジェンダーフリーへ』(共著、すずさわ書店、2001年)、「メディアの女性イメージ」(かながわ女性ジャーナル)、「近代日本の女性アーティスト」(別冊アサヒグラフ『女性』1995年)、など多数。
関連サイト:■特定非営利活動法人ヒューマンサービスセンター ■女の知恵の輪.net